いち

 

                              いち

                                                      作:おどぷー

 きぃーーん。

 朝から太陽はこれでもかと地面に照り付けている。

 ざざーーーっ、しゅわしゅわしゅわ。

 砂浜を洗う波は静かに乾いた空気を揺らしている。

 不似合いな大きさの貝殻を背負ったヤドカリが一匹、白い砂に爪を立てながらコソコソと動いている。

 ざっぱーーーん! ざざざざ……

 突然、一際大きな波に運ばれ、ソレは波打ち際に置いていかれた。

 

 クイロは妹のプーリと一緒に砂浜に打ち上げられた海草を拾いにきていた。

 「お兄ちゃん、これは、これ?」

 「違う違う、それじゃなくてこっちの黒っぽいやつだよ。」

 プーリはまだ幼くて、食べられる海草の区別がつかないようだ。

 「こういう平べったくて軟らかいやつだよ。ほら、あっちにも、あっ!」

 「……」

 プーリも声を失った。

 ソレは、クイロの家ほどの大きさがあるだろうか。ピクリとも動かずにその巨体を不自然な形で砂の上に横たえていた。

 強い陽射しを浴びて山のような黒い丸い背中は鈍く光って見える。

 二人は大分離れてはいたが、その圧倒的な存在に目を奪われたまま動けないでいた。

 「うわーっ」「きゃーっ」

 我を取り戻し、二人は悲鳴を上げながら無我夢中で家に向かって走り出した。

 

 しばらくして、クイロ、プーリと一緒に父クイデンと叔父のクドロがソレを確認に来た。手には槍と弓矢を握っている。

 「なんだろなあ、鮫かなあ。」

 「違うよ父ちゃん、鮫じゃないよ。」「違う違う。」

 「食えるやつなら何でもいいや、はっはっはっ。」

 クドロが笑った。

 村からの一本道、林を抜けると急に視界が開けたところに白い砂浜が広がる。

 ソレを見て、クイデンとクドロは体が固まった。

 クイロとプーリは父の後ろに隠れ、両手でしがみつき、顔だけ覗かせている。

 「何だこりゃ。」「ええ?」

 おそるおそる二人はソレに近づいていった。クイロとプーリは少し離れて見守っている。

 ソレはあきらかに初めて見る生き物だった。鮫じゃない。イルカじゃない。鯨じゃない。

 見たことも聞いたこともない何かだ。とにかくデカイ。

 丸みを帯びた黒い胴体。ヒレ状の手足が4本。背中には三列の背ビレ。前に長く伸びた首。大人の体ほどもある頭は鳥のくちばしのように口が細く突き出している。その中には鋭く尖った歯が並んでいる。閉じたまぶたの上からでも、その目がとても大きいことは見てとれる。平べったい長い尾はときおり波に揺れていた。

 二人はソレの周りを歩きながら何度も覗きこんだり触ったりした。

 一通り観察し終わるとクドロが足で揺すってみたが、ソレはピクリともしない。

 「死んでるのか?」「みたいだな。」

 二人は顔を見合わせ、黙りこんだ。

 しばらくして、噂を聞きつけた村人が何人かやってきた。

 その日の夕方には誰もが知るところとなった。

 

 クイロの住む島は赤道に近く、大陸から離れた場所に位置する常夏の島。海岸線は二日あれば一回りできる。隣りの島までは手漕ぎ船で一日はかかる。

 島の南側、高い山の麓に唯一の村がある。男は海で漁をし、女は山で木の実や芋を採る。

 ここでは問題が起こると村の集会所で話し合い、皆で解決するのが慣わしである。

 村の真ん中には広場が有り、それを取り囲むように家々が並んでいる。

 村の入り口から入って一番奥に一際大きく軒を構えているのが集会所だ。

 この日の議題は、例の打ち寄せられた獲物の頭の骨の所有権についてである。

 この村では、鮫などの大きな獲物を仕留めた者は、その栄誉として獲物の頭の骨(または顎の骨)を家に飾る風習がある。それは代々語り継がれる武勇伝の確固たる証人でもある。

 今回は村人が仕留めた訳ではないが、いかにも見栄えのする装飾品になることは誰の目にも明らかだった。

 夕闇の中、集会所の各柱に椰子油の灯りが灯された。男達は全員集まり、丸太を削った長いすに腰掛け、誰かが話し始めるのを待っていた。

 まず、クイデンが口を開く。

 「アレを見つけたのは俺の子供クイロとプーリだ。だから俺の所に権利がある。」

 クイデンはみんなによく見えるように二人の子を自分の前に立たせ、きっぱりと言いきった。

 皆は一様にウンウンとうなづいた。

 長老ガオロは一同の顔を舐めるように見廻してから言った。

 「異議のある者はいないか。」

 一瞬の沈黙の後、一人が立ち上がった。

  「ちょっと待て。」

 ガオロの息子ガイルだ。

 「仕留めた者がいない以上、頭は村人みんなの物だ。お前だけが持っていくのは納得いかん。」

 またもや皆は一様にウンウンとうなづいた。

 「じゃあどうするんだ。バラバラに刻んでみんなに分けるのか。」

 叔父のクドロが叫んだ。

 「みんなの物であれば、長老の家に置くのが当然だ。」

 「お前が欲しいだけじゃねえか、ガイル。正直に言えよ。」

 「お前には関係ないだろうが。だまってろ。」

 「なんだと、このやろう。」

 「やんのか、こら。」

 今にも殴りかからんばかりの二人に、一気に村人が騒ぎ出した。

 「静まれ。」

 長老ガオロが、かすれ声ながらも渾身の力を込めて叫んだ。

 水を打ったような沈黙。一人二人と席に着く村人。

 ガオロは静かに付け足した。

 「落ち着け、馬鹿者が。」

 ガオロの判断により、獲物の頭はクイデンに渡されることとなった。

 「今日は宴じゃ、アレを焼いて食うぞ。女子供も浜に集まれ。おーい、酒を出せ。」

「やったーっ」「ヒュゥーッ」「よーし」「あっはっはっ」

 ガオロの提案でやっとみんなの顔に笑顔が戻った。

 

 一片の雲も無く澄みわたる夜空。彼方の星は小さな光の糸を身にまとい、満月がその存在を主張していた。

 暗い海と暗い山に挟まれて、浜だけがいつになく活気にあふれている。

 ソレの周りを取り囲むように松明が焚かれ、女達は料理の準備に忙しかった。男達は早くも酒に手が伸びていた。

 「ほれ、今日だけはクイロも酒を飲め。プーリも飲むか、あっはっはっ。」

 頭の権利を得たクイデンはすでに出来あがっていた.

 「ごくっ、うえーっ、まずい。」

 クイロに酒は早過ぎたようだ。プーリは目を丸くして見ていた。

 やがて一本の槍を持ってみんなの中心に歩み出たガオロが、クイロに向かって言った。

 「最初の一突きはお前が刺すんだ、クイロ。こっちへ来い。」

 「えっ、僕が?」

 「ほら、行ってこいよ。」

 クドロが戸惑うクイロの背中を押した。

 固くなりながらクイロはガオロのところまで歩いて行った。

 「槍を持て、よーし。」

 ガオロはクイロの体を持ち上げ、ソレの首の付け根の上に立たせた。

 「いいぞーっ、クイロ、頑張れー。」「しっかり持てよー。」「自分に刺すなよー。」「あっはっはっ」

 みんなの茶化す声にすこしムッとしながらも、クイロは槍を大きく構えた。

 「よし、やれ。」

 ガオロの促す声に槍を振り下ろそうとした、そのとき、

 『クアーーーーッ』

 ソレは突然、耳をつんざくような奇声を上げ、体を大きく揺さぶりながら起き上がった。

 クイロは足を滑らせ、水の中へ落ちた。

 「うあーーーーーっ」「きゃああああっ」「ひぃーーーっ」

 不意を突かれ逃げ惑う人々。

 そのとき、長い尾がブーンと唸りをあげて飛んできた。

 ばーん、ばさっ、ぐしゃっ。

 逃げる間も無くある者は飛ばされ、ある者は潰され・・・

 近くにいる者から順に、頭から足から2・3人まとめては食われていく。

 ばきん、ぼりっ、ぐちゃっぐちゃっ。

 骨を割り、肉を潰す音が暗い海に響き渡る。

 ずざっ、ずざっ。

 浜を這いずりながらソレは全ての村人を腹に入れようとしていた。

 「うわっ、うわっ、うわーーーっ」

 がぶっ、ばりん、べきっ、ぐちゃっ。

 砂浜は血液や体液で赤く染まり、ソレの口からこぼれた手足の破片がいくつも転がっていた。

 誰の声も聞こえなくなった頃、ソレはまだ咀嚼を続けていた。

 ぐちっ、ちゃぷっ、べちゃっ。

 惨劇の現場からすこし離れた岩陰で、クイロは震えながら座り込み、両脚を抱きしめ目を力一杯閉じていた。

 「…ひっ……はぁ……ひっ…」

 声も出せず、ただ、ガタガタと震えていた。

 

 どれくらい経っただろうか。浜はすっかり静寂を取り戻していた。

 やっと体の震えが止まり、クイロは村人の様子が気になった。

 そーっと体を伸ばし、岩陰の上に顔をだした。

 『クアーーーーッ』

 ばきっ、ぐちゃっ。

 

 

 熱帯の雨はひとときの湿り気を運んで来る。そしてまた海からの乾いた風がいつもの暑さを思い出させる。

 その島は、水平線の向こうから現れる大海のオアシス。道はあるが車は無く、夏になると小人数ではあるが観光客も訪れる。

 「ケイティ、あんまり遠くへ行っちゃだめよ。」

 「貝殻を拾うだけよ。行ってきまーす。」

 ざざーーーっ、しゅわしゅわしゅわ。

 ざざーーーっ、しゅわしゅわしゅわ。

 ざっぱーーーん! ざざざざ……

 「きゃーーーっ、ママ、ママ!」

 打ち上げられたソレのまぶたがかすかに動いたように見えた。

 

                               完

 

 

 

 

 

 

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